今考えて思えば、母親の安否どころか、動脈硬化が極端に進んでしまっている自分自身の命さえ保証できないなあ、と思います。
これは自然界の法則に乗っ取ったものであると感じます。
空を眺めていると、雲が横に流れているようにです。
人に注視されているという感覚は、過去に横浜でも池袋にしろ、なかった訳ではないが、気にするほどでもなかったと感じます。
千葉に来て、注視されているという感覚が強くなったのは、病気でもなんでもなく、よく考えて見ると実家の駅で起きたテロ殺傷事件以降だと思われます。
もしそれが要因で自分を注視していたのらまったくのオカト違いであって、ただ、長きに渡って自分が発信した文章がテロ的行為をする人物に読まれて、それらを利用されてしまうケースだってあるかと思われます。
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